雑記


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11月11日

「市役所年金窓口でのやりとり」


某月某日

勢い込んでやってきたお年よりの相手をする。

市民・男性 「ちょっと、そこの!」

マルメン「あ、はい!おはようございます、年金でお手続きですね?」

市民「おう、ちょっとな、テレビで言うとったんやけどな、年金はちょっとお前。
どないなっとんねんいう話や無いか!?ええ!?」

マルメン「・・・あ、はあ・・・(どこのワイドショーや、ボケ)」

市民「だいたい前から言うたろー思うとったんじゃ!少なすぎる!
こんな金額でなぁ、どないして暮らして行けいうんや」

マルメン「あ、ほなもう、貰ってらっしゃる方で(朝からハイテンションやな・・・)」

市民「そや、もう今年で70歳になる。」

マルメン「国民年金だけの方ですか?」

市民「アホか!それだけで暮らして行けるか!厚生年金もかけとるわ!!」

マルメン「あ、そうですか、すいません…(キレんなや、結構あるほうやんけ)」

市民「せや!厚生年金もあってや、それも大層な額かけとるんじゃ!
最高額やぞ!!内閣総理大臣と同じ額の年金かけとったんや!!」

マルメン「・・・・(マジで?)」

市民「・・・・」

マルメン「いや、それなら厚生年金も最高額ですよ」

市民「そんなわけあるかいな、少なすぎるわいや。」

マルメン「いやいや…おかしいですね、月いくらぐらい貰ってはります?」

市民「・・・・」

マルメン「・・・・」

市民「・・・・」

マルメン「・・・・」

市民「・・・プライバシーやろがい」

マルメン「・・・ええっ!!(驚)」

市民「そら、言えん」

マルメン「・・・あぁ、はあ・・・すいません(どこがおかしいか分からへん!!)」

市民「ええ?70の年寄りのたった一つの年金から
やれ健康保険や介護保険やて差っ引きやがって。」

マルメン「でもね、一回決まった年金額ってもう変わらないんですよ…
せやけど国民健康保険や介護保険は減免の制度がありましてね」

市民「・・・ほお?そらなんや、どのくらい減るんや」

マルメン「あ、それはここの窓口では払っていただいてる金額もわかりませんし、
健康保険がお隣で、介護保険は…」

市民「結局たらい回しやないか!!どうせそうやろ!!」

マルメン「あ〜いや、こっちでは本当に分からないんですよ・・・(権限ないし)」

市民「だいたいお前らみたいなモンは〜!!あっち回れこっち回れぬかしやがって・・・
ええ加減にせえよッッッ!!」

マルメン「いやー、すいません(しゃあないやんけ・・・端末動かせんし)」

市民「お前らのやるこというたら、みなそれやないけ!」

マルメン「はあ、すんません!」

市民「ほんま、さこばのいう通りやで!」

マルメン「は〜すんません(『痛快エブリディ』見てたんや、このおっさん!)

市民「ええ加減たらい回しにして、ほんで責任かぶりたくないだけやろ!!」

マルメン「はあ、すんません(それもざこばか?桂南光か?)」

市民「そのやり方なんとかせんか!」

マルメン「はい、もちろん(『男がしゃべりでなにがわるい』まだやってるんかの)」

市民「まあほんま、あんたみたいな若いもんに、言うてもしゃーないんかもしれんが」

マルメン「はい、ご意見いただきましてありがとうございます。」

市民「課長とか、部長とか、ワシみたいなん来たと、よく言うとけ」

マルメン「はい、ご意見は」

市民「ちゃんと伝えとけ」

マルメン「はい、今日はどうもありがとうございました(あ〜終わった)」

市民「・・・・」

マルメン「・・・・(礼)」

市民「・・・・」

マルメン「・・・・?」



市民「伝えとくて、メモの一つも取らんと!
何言うとるんじゃ!!
どない伝える言うんじゃ!!

お前、雰囲気だけやんけッッッ!!!





マルメン「えらいすんません!!








11月7日

「O課長」


サラリーマンらしいことになってきたと思う。
概要を説明すると、「嫌われ者の上司」の話だ。


公務員というのはやはり不思議な職業で、私はこの社会に属して
間もないからそう思うのかもしれない。いや、私はそもそも
なかなか社会人になれなかった人間だし、今もはたから見れば
立派に社会人然としているが、概してひきこもりの私が
そう周囲に認識されることすら、甚だしく図々しい気もする。


さて公務員は競争が無い不思議な職業だ。年功序列で給料が上がる、
業績で給料が下がることが無い。最近はそうでもないが、
先輩職員は給料が下がるなんて信じられない、のだそうだ。

そこで、仕事をしないのに給料をもらってる職員、が実在する。
「産休・育休職員」。島田紳助のような言動を取ってしまうが、これはダメだ。
「時代の担い手、子供が減る」「女性の社会参加」
確かに重要な命題なのだが・・・10年近く給料だけもらってる人がいるそうだ。
産休1年、育休3年、休暇中にまた一人・・・

あと、「平日は有給使って日曜出勤」というのもある。ゆゆしき問題である。

なお、車輌課という特殊部署があって、タバコすいながら仕事できる
唯一の部署である。公用車の整備、運用がお仕事だが、
ぺーパードライバーの私でも整備がいい加減なのが良く分かる。



そんな「新潮」に叩かれるのもなんとなく分かる、公務員の暗部が見えてきた
毎日の中で、こと不思議極まりないのがO課長である。

先に述べた「不出来な連中」は、多くの「まともに仕事してる公務員」に
嫌われてる。ところが、「アンタッチャブル」なのである。
表面上は波風を立てない。これは公務員の悪い点だ。
いずれ人事課が断を下すし、あるいは議員や組合の意向で下せないのであれば、
触らぬ神にたたり無し。


ところが、O課長というのは、別に仕事をしないわけではない。
凄く仕事が出来る人、というわけではないが、まあ窓口部署の課長というのは
「責任者を出せ」と市民にいわれた時に「権限のある存在」として
出て行って謝ったり、議会の答弁考えたりするという役割なので
私はアレでいいのだと考えている。

ところが課内を見ていると、このO課長、
完全に嫌われているのである。

平常どおり出勤し、始業ベルが鳴ると課内をぐるっと
挨拶して回り、「おはよう、今日もよろしくお願いしますよ、ハハハ、ハ…」
新聞をチェックし、議会の答弁を作り、下から上がってくる必要な決済を行っている。
揉めたらすぐ出て行く。課員が残業するときは仕事が無くても残っている。


例えば、この最後の笑いがぎこちない挨拶は、課員がこの挨拶に対して
誰も反応せず、机に向かったまま、ボソボソと「はよざーす…」と返し
会話を継がないのでこうなっている。
間が取れないので気を悪くした課長がどこかへ行くと
「うっとおしい」「もう来なくていい」である。
先輩課員が同意を求めてくるので、あいまいに答えておく。

なぜ嫌われているのか?
私は不思議で仕方が無い。
いじめなのか。





10月24日

「錬金術の『賢者の石』に対する私的見解」


今日「鋼の錬金術師」を読み直して、思い出に耽った。
きっかけは浪人中にやった「マリーのアトリエ」だったと思う。
マンガ描こうとマジで考え始めたのが大学入ってからだが、
それを思いつくと大学の図書館で蔵書を漁った。

「今はまだ錬金術ってニッチだな」と思ったか思わなかったか、
マンガのネタに出来ると思った瞬間、なにやら得体の知れぬエネルギーが沸く。
不思議なことに母校の図書館になぜかそういう本がいっぱいあったのもいい思い出だ。

掘ったり溶かしたりする必要がない分、錬金術はいいなあ。
本はたくさんあり、伝説として、あるいは化学歴史としての錬金術を追う本や
魔術の一分野として「カバラ」だなんだと併記してる本もあった。
中国行ったら「錬金術」は不老長寿の丹薬を作る、「錬丹術」になるとかで
ああこれハガレンで出てきたな〜


もう何年も前のことになるのであまり覚えてないのだが、
曰く

「卑金属を黄金に変える最大の秘法は『賢者の石』であって
それは練成の過程でさまざまな色に変化し、最上のものは「赤」である。」

七色とか緑とか白とか、一口に賢者の石といっても色々あるのだ。
黄金を生成できる賢者の石は最上の「赤」のみであり
そして「赤」の賢者の石を作るのは本当に難しいのだ。


知る限り、この「賢者の石」に化学的なアプローチをした見解が無かった。
そもそも錬金術自体がトンデモ話なので、謎の物質「賢者の石」は
謎は謎のままおいとくほうがモアベターかもしれないが、しかし
私は金鉱山のことを執拗に追いかけているうち、この「賢者の石」の
正体について、ひとつの仮説に達したので、ここに残しておこうと思うのだ。





そもそも、黄金とはどのようにして得られるのだろうか?

ひとつは、川の中に落ちている、というケースだ。これを漂砂鉱床という。
アメリカゴールドラッシュの発端はこれである。こういった鉱床も鉱山と呼ぶ。

もうひとつは岩石中に含まれる、金鉱脈とでもいうべき鉱床だ。
マグマに含まれる金が冷えて固まるうち形成される。
「ラッキーストライク」でフィルがやっているのがこれだ。

後者の金は岩石中に微細に交じり合い、1トン中に30グラム含まれれば良い方だ。
(日本にはこのくらいの鉱床は割とたくさんあるのだが、人件費の高い
コストの面で利益を出すのは難しい。やはり鉱山はビジネスだ)

さて、こういった「岩石中に微細に混じった金をうまく取り出す方法」はあるのか。
中世程度の技術力で、ミクロ単位まで岩を砕いて水で比重採集するような
ことが出来るか。

じつはそんな労力を使わずとも、金を採集するうまい方法がある。
キーワードは「水銀」である。





では水銀とはなにか?

「水銀」は錬金術では「金属の女王」とか、「月」とか、
とかく金を主とした従の位置に据えられる。

水銀は常温で液体という、他の金属にあまり見受けない妙な性質を持ち
一方で酸にもアルカリにも溶けない金と、非常に化合しやすい性質を持つ。
金塊に一滴の水銀を垂らして1昼夜放置すると、接触点を中心に
金塊上に輝きの無い合金が発生する。この合金は触れるとボロボロと崩れる
鉛以下のもろい物質だ。錬金術上、金は水銀によって堕落したのである。

この合金は「アマルガム」と呼ばれている。そしてこれを火にかけると
水銀が分離して蒸発し、元の黄金に戻るのである。

これを利用した鉱山での金精錬法が「水銀アマルガム法」であり、
戦国〜江戸期に伝わった日本では「南蛮絞り」と呼ばれている。

採掘した金鉱石を臼などである程度粉々にした後、水銀と混ぜて
反応させ、えられた合金を火にかけ、金を得る方法である。


水銀というと水俣病に絡んで大変イメージが悪い物質だ。
水俣病は有機水銀だが、古い鉱山にも水銀中毒者はいるし、
全く関係ないところで水銀中毒者が発生することもある。
(水銀は火薬にもなるし、皮膚病の薬や堕胎薬にもなるのだ)

差別につながらないか不安だが、水銀中毒者は神経が痺れて
ある程度理性を保ちながら、狂ったような言動を取る。
ところで、かのシューベルトは遺体から微量の水銀が検出されているという。
脳神経への水銀作用は、なにか不思議な才能を生むのだろうか?



余談は置く。このように、黄金精錬には欠かせぬ水銀であるが、
あなたはこれをどのようにして得るのか、考えたことがあるだろうか。


これには水銀鉱山というものがある。日本でも大和地方などに鉱山がある。
しかしながら、水銀は常温では液体であることを既に述べた。
ファンタジックなものを想像するかも知れない。
水銀のこんこんと湧く泉のようなものがあって…


そのような美しい情景があったら、水銀は水俣病のマイナスイメージなど跳ね返す
神聖なものになっていたに違いあるまい。





「辰砂」




これは「辰砂」の鉱石である。
「辰砂」は学名を(Cinnabar)シナバーと言い、学名がついた時点では
中国でしか取れなかったのではないかと予想される。
白い岩石中に、赤、または黒の輝きを持つ結晶があるのが分かるだろうか。
水銀が安定し、固形化した物質がこの「辰砂」(シンシャ)である

水銀は、このような形で土中から発見される。
科学的にはHgS、硫化水銀であり、古くから珍重されて
粉砕して鮮やかな赤の色を出す塗料、化粧品としてつかわれた。


その色は「丹」である。




ということで、私なりの「賢者の石」の見解を述べてみた。





追伸

今日、画材屋にケント紙を買いに行った。
マンガコーナーに一人、制服を着た地味な眼鏡ッ子がペン先を見ていた。
いい大人の私が、画材を大人買いしている様をチラチラ見ていた。
私のほうも失礼ながらチラチラ見ていた。
地味な割にはいいものがあるが、いっそ磨かないくらいの方が好みだと思った。






10月4日

「ランニングを始める」


9月某日、平成16年度某市新入職員の同期会が開かれていた。
私ことマルメン(仮)は各部各課に散った志を共とする友人たちと、
これからの行政の運営と課題について、語り合っていた。
みな、半年間の経験を積み、確実に行政側の人間として
成長していることがよく分かる。討論は酒の勢いでよく回り、
今後どのようにして地方自治体が自立した形で伸びていくか、
居酒屋の喧騒の中で思案していたところであった。

そこへ、U君が乱入してきた。
「マルメン、風俗いこうや、風俗。」


完全に黙殺する。

U君は職についてから、風俗という新しい遊びに目覚めたとかで、
その遊びに特に興味の無い私を、「そういう匂いがする」とかいう
訳の分からない理由で、ことあるごとに私を呼びにくる。

彼はまるで風俗を知り尽くしているかのように振舞ってはいるが、
彼は3度目でホテヘルに挑戦し、17000円の大枚をはたいて写真で選んで
呼んだ女性が実は「千代大海」であったことに強いトラウマを持っていることを
私は知っている。


異物が紛れ込んだことによる、テーブルの同期の怪訝な視線にも動じない
図々しさで私の隣に座り込むと、取るに足りないことをわめきちらすU君。
私は赤面し、席を立とうとすると、


「マルメンさぁ。最近太ってきたんちゃう?」

この下品な男から、このような発言がとびだした。
ほろ酔いの気分が吹き飛ぶ思いだ。私だって認識していた。
連日の残業、そこで毎度、間食を取る。そして、
家に帰って冷めたものを食うよりは、「王将」の餃子が旨かった。
就職時より体重は5〜6kgも増えていた。


「腹出てきたで〜」

くすくす笑いが聞こえ、私は赤面し、頭に血が上るのを感じた。
女性もいる満座で言うようなことだろうか?
しかしこれ以上ムキになって無視するのも大人気なく思い、
適当に相槌をうってこの場を切り上げることに決めた。


「まあね、いっつも仕事がね・・・」

「ほらな、マルメンの仕事、楽なんやろ!?」



「んなことあるかい、ボケ!!」




というわけで、残業の無い日と土日は時間を作り、一時間のランニングをすることにした。
就業時の体重まで戻ったが、体脂肪率は当時より低い。
体の調子はすこぶる良く、そういう意味ではU君に感謝すらしている。

私の仕事内容がずいぶん厳しいものになってきたと、周囲は思うだろうか。
幾分矛盾を感じながらも、今日もiPodを聞きながら走りこむことにする。





9月21日

「iPod」

20ギガもの容量を持て余し、
聴く音楽も一巡させて、レンタルショップへ行くのも面倒な
土日ひきこもりの私は、ナイナイのオールナイトニッポンを録音して
iPodに入れ、通勤の電車で聞く。

音漏れしないイヤホンで、くすくす笑う私はさぞや不快な存在だろうと思いながら。

久々に日記書いて、書くこともあんまり無いな〜





7月31日

「時の転換点」


このところ、私の身の回りでは立て続けに大変な事態が起こっている。


すべてが過ぎ去った今となっては、あの時の痛み、不安、孤独感、
すべてを思い出すのは困難かもしれないが、人生観の変わる体験をした。
そのことを忘れぬため、これを記そうと思う。


30日金曜日、朝食を取り、「おはよう朝日です」の最初の宮根誠司の
「お忘れ物はありませんね?今日も元気で、いってらっしゃい!」で
家を出る。いつもの時刻、いつもの電車に乗る。昨日の仕事内容を
思い出し、今日のやることを大まかに考えておく時間である。

昨日は2.5時間ほど残業し、端末の使用時間が切れたところで帰宅した。
あともう一仕事残っている。また、それとは別に、相談予約が入っている。
年金受給者が亡くなったことに関する、遺族の手続きだ。
基本的に年金受給者が亡くなったときは、社会保険事務所での手続きになる。
亡くなった人がどういう年金を受けていたかは、現在社保にしかデータが無いので
こちらでは受けられないことになっている。ところが電話で相談を受けた
社保は、「市役所で手続きしろ」と応対したそうだ。
説明を受けた市民は、市役所がたらい回しにした、と憤っていた。
そんなことは無いのだが、とにかく私はなだめるところから取り組む覚悟だった。


そうして満員電車に揺られ、考えていると、前の席が空いた。何たる幸運!
私は必死で喜びを顔から隠し、このまま座席で20分も眠れることを神に感謝した。


その時である。
私は背中に奇妙な痛みを感じた。
痛みは背中から右わき腹に走りはじめた。ただ、耐えられる程度だった。

「なんだったか?」

たいていの場合、痛みには原因がつく。
筋肉が痛い、骨が痛い、2日酔いで頭が痛い。
そういえば3日ほど前、腹筋トレーニングをやった。
私はこれを筋肉痛だと判断を下した。腹筋の筋肉痛で背中が痛いのは
不思議だったが、背筋も弱っていたからだろうと思った。

筋肉痛ならば、それは断裂した筋肉を引っ張ることに起因している。
したがって、「楽な体勢」というものが存在する。
運動の基礎たる腹筋ゆえ、「楽な体勢」がうまく定められるか分からなかったが、
周囲に気遣いながらゴソゴソと動いてみる。


眩暈がした。
背中の痛みが、右腹部全体への激痛に変わった。
気づくと体中に力が入り、大量に発汗している。冷汗だ。

駅は終点に近づいている。顔面は血の気が引いている。
座っているから痛いのか、と席を立ってみたが変わらない。
これほどの激痛、何度経験あるだろう?
小学生のころ、喧嘩して力いっぱい殴った。すると拳が骨折し、
整形外科でレントゲンを撮ると、折れた以上に骨が曲がっていた。
医者に喧嘩がばれるのが嫌で、「転んだ」と嘘をついたが医者の眼は誤魔化せず、
これは罰なのだろうか、麻酔無しでの矯正手術を行った。
その時の痛みもひどかったが、うめき声ひとつもらさずに耐え、
医者に忍耐を褒められたのが思い出だ。


電車は終点だ。「痛くない。これは痛くない!痛みですらない!」
この期に及んで、私はまだこれを筋肉痛だと信じていた。
暇つぶしにやった筋トレで筋肉痛になり、仕事に穴あけるバカ公務員がいるものか。
私は自分を騙しながら歩いたが、100歩ほど行ったところで踵を返した。
「無理だ!!」

この痛み、波が無い。仮に筋肉痛として、この痛みの中で仕事にならない。
弱気が私の使命感を打ち消していく。
どうせたいした仕事じゃない、ペーペーの新米がこなせる仕事だ、
誰でも代わりになるさ。遊びで休み取ってもいいんだ、体調が悪いときくらい休め!


帰りの電車はすいていた。私は倒れこむように座席に座ったが、痛みは
全く変わらなかった。どんどんひどくなってくる。
体に力が入り、呼吸が困難になってきた。
死にかけの犬みたいにゼイゼイと息をし、痛む腹を撫でながら
脂汗を流す。想像を絶する痛みに、うめき声が漏れた。
そしてそんな私に、通勤客の目は冷ややかで、私は誰かに何とかして欲しいと
願ったが、みな眼が合うとすぐに逸らした。


のたうち回れるならのたうち回りたい痛みの中、家に帰ることだけを考えていた。
家に帰って何があるというのか?市販薬しかおいてない。
だがそれでも、家に帰りたい。家に帰れば、誰か何とかしてくれるかもしれない。
家とはそういう場所なのかもしれない。


意識も朦朧に自宅にたどり着いた。母が出迎え、私の第一声は
「助けてくれ・・・」
だったと後で聞かされた。とにかく痛かった。
この右腹部を切り取って、台所に投げ捨てたかった。

とにかく「痛み止め」だ。この期に及んで、私は筋肉痛だと信じていた。
インドメタシンかなにかを塗りたくった後、湿布を張って、
それでも痛いのでバファリンを飲んだ。
母から、「腎臓をイワすと腰痛いよ」と聞き、これらの行為はどうも
見当違いだったかと気づいた。
筋肉どころではない、こいつは内臓だ。
痛みにより、人間の判断力はここまで低下するのか、と思った。
直後に恐怖した。
内臓が痛む。
「まさか…」

職場に電話を入れた後、病院へ行く。
母も弟もいるのに、免許を持たないので誰も車で送ってくれない。
病院到着時が痛みのピークで、手が震えて健康保険証を落とした。
見かねた看護婦が順番飛ばしで病室に入れてくれたが。
いい大人が看護婦に「なんとかして、なんとかして」と懇願した。
もう恥も外聞も無いところまで来ていた。
痛みと不安が、病院の薬品の匂いによって増幅される。


順番が来て検査。
「若いのに残念やな…」
医者のこの一言が私を打ちのめす。



「ええっ!?」



「ここにな」
医者は私の痛む右腹部を指差し、
「石はいっとる」





「…尿管結石?」



「肉やら食いすぎたんやろうな。産みの苦しみみたいなもんや、
痛み止め打っとくから、出てくるまで我慢しぃ。」



※尿管結石
腎臓から膀胱をつなぐ尿管に、カルシウムなどの石ができて詰まってしまう。
生活習慣に原因があり、再発する可能性が高い。
石が大きいと衝撃波で破砕するが、小さいと尿管内を移動するので
激痛を伴う。



とりあえず痛み止めの座薬を打ってもらい、痛みのひいた
私は急速にやすらかになっていく。
痛みの無い状態というのが、これほど快適なのだと初めて知った。

なんとも不思議な病気で、痛みというほかは別にたいした症状が無いそうだ。
石が取れてしまえば、(尿に混じって排出されていく)
あとは傷ついた尿管がほんの少し痛むだけだ。
だがあの激痛は忘れてはならないことだ。
世の中にあれほどの激痛が存在しているとは、思いもよらなかった。


思えば健康にはさして気を使うことなく生きてきた。
日常の中で、健康が損なわれる恐怖を、休みが増える程度にしか
考えていないことは由々しき事態であろう。
今後は日に何回も飲んでいたアイスコーヒーを、控えることにした。





7月24日

「親友の死」


友人が交通事故で死んでしまった。
交友関係が広い彼にとってはどうか知らないが、
私は勝手に親友のつもりでいたので
すごくショックだった。


コンビニのアルバイトを通じて、5〜6年ほどの付き合いだ。
彼は一ヶ月ほどの先輩で、私とよくコンビを組んで、深夜シフトに入っていた。
ともすれば引きこもりがちな私を、よく外に連れ出してくれた。
一緒に公務員を目指して勉強したし、ジム行ったり、ボランティアに参加したりした。


親しくする人を失うのは初めてのことで、私はどうしていいかわからず、
お通夜、葬式に顔を出した後も、親族みたいに付き合っていた。
大勢の人が来ていた。泣く人の多さが、人生を物語るのだと思う。

死んだ友人の彼女を車に乗せて、斎場(焼き場)へ行く途中、
いろんな思い出が頭を廻り始め、涙が止まらなくなってしまった。
私は彼女に励まされることになってしまった。
普通、逆だ。
まったく自分の至らなさを痛感する。


思えば、この車の納車のとき、不安なので付き合ってもらったのが彼だ。
その時はまあまあ運転ぶり褒めてくれてたので、私は気を良くしていたのだが、
彼女には「怖かった」という本音をこぼしていたらしい。
ペーパードライバーの私が自信をなくさないよう、計らってくれてたようだ。
気の利く男だった。


20歳そこそこの彼女は気丈に振舞っていた。その姿が、逆に辛かった。
確か付き合いは4〜5年になる。年齢的に、公務員としては犯罪だと思う。
彼女がいてくれて、死んだ彼も本当に幸せだったのではないかと思う。
だがこんな若いのに、未亡人みたいになってどうするというのだろうか。
はやく新しい人生を軌道に乗せてほしいと思った。


骨を拾った。思ったより白く、存在感があった。骸骨なんか、図で見たまんまだ。
個人的に遺骨が欲しいという感情は、なぜ沸いたのだろうかと思う。
きっと思い出が風化してしまうのが怖かったのではないだろうか。
「忘れることは絶対無い」などと言い切れないからだ。
形にしておきたかったのだが、「骨が残ると成仏できない」という理由でNGだ。

インドネシアかどこかの伝承で、「男の精液は骨になり、女の血が肉になる」
というのがあるそうだ。死んでも骨が朽ちないから、男が尊い、というのが
男尊女卑がどうとかの授業で聞いた。
そんなことどうでもいいが、死んだら骨が残るのだ。
変わらない形として残るのだ。事実だ。


戻って遺骨を法要。残された彼女と事故現場に花を添えに行ったら、
もういくつか供えてあった。無性に嬉しかった。
骨や仏壇は彼の実家にあるが、親族に顔を合わせるのが辛かったんで
事故現場に座ってた。ずいぶん長いことそうしていた。




7月18日 
「生野銀山行」
聖地巡礼である。
真夏の日差しが照りつける中、私は但馬の玄関口を訪れている。
坑道へ足を踏み入れようというその時、私は職場のことを思い浮かべた。
今日も窓口は混雑しているのだろうか。今日も申請免除祭りの真っ盛りだ。
この日のために休暇を取り、一人鉱山を目指したにもかかわらず、
私の心に焦燥が広がった。こんなことをしている場合なのであろうか。


これに先立つ1週間前、新入職員の私に休暇をとるべきことが告げられた。
しかしながら、私は現在の職場に、長年求めていた自分の居場所を発見したのだ。
したがって、「忙しい、残業だ、しんどい」などと口でこそ言え、
内心では大変満足していた。休暇など無用、我に万苦を与えよ・・・・

だが「新人の私が休まんと、上の俺らがいつまでも休みが取れへんよ」
「それで俺ら休みかぶって、障害年金とか所得計算、君が代打できるんか?」
「今週中に取っとくように」


自暴自棄になった私は、7月の3連休を金曜日に休暇を入れることで、
一挙4連休とし、かねて計画中だった鉱山行に当てることとした。
管理職の印をもらい、突如私の心は躍り始める。私的な休暇は初めてだ。

「4連休ではないか!」

現金なもので、私は気分も上々に生野銀山のホームページを開き、
ドライブマップを作成して、同期の友人に観光計画を語る。
「彼らはその日も仕事をする」、このことが私を有頂天にさせていた。

だが同期の一言が私の熱意に冷や水を浴びせる。

「その日同期会あるで、出てこれるの?」
(わすれてた!)

不覚であった。40人以上の同期が出席する大事な会合だ。
彼らとはこれからもうまく付き合っていかねばならないのに、
いまさらドタキャンしては、幹事ほか全メンバーから信用を失う。

「もちろん出るよ!」
そう言いながら私は猛烈な勢いで昨晩製作したドライビングマップをなぞった。
実家から距離にして片道200キロ。観光坑道の所要時間は1時間、
しかし取材の意味も込め、現地3時間を計画したい。

冷や汗が出た。
大事なのは信用だ。それは間違いなかった。
鉱山行を考え直せばいい。しかし私は既に友人にこのことを話した。
休暇をずらせばいい。しかし既に管理職の印をもらった。

いまさらの計画変更は、私の計画性の無さを露呈し、
信用を失うことにつながるのだ。

「休暇の日取りは申請した後でも変えてくれるで。」
友人に私の内心を見透かされた思いがしたので

「あ〜!?何言ってんのかわからんな、バーカ!!」
つい動揺して感情的に否定してしまった。




姫路から北へ50キロ、いくつものトンネルを抜けると、切り立った岩山が私を迎えた。
私は鉱山にやってきたのだ。



「ゴールドパーク佐渡」というものがある。佐渡は言うまでも無い、
日本鉱山史の中核だ。経営元は三菱マテリアルで、ここの中途半端にして潰れた
カンパニー制の導入が、ジパング社へのインスピレーションを与えていた。
この生野銀山もそうなのだろうか。道中、三菱マテリアルの工場を発見した。
結構いい車が止まっていた気がする。
観光坑道は大変素晴らしいものであった。

32度の気温に汗を流しながら入り口前に立つと、
南海なんば駅の冷房を思わせる勢いの強い冷気が吹き付けてきた。

私は真夏の鉱山を勘違いしていた。
湧き出す地下水が気化し、太陽の熱線が届かぬ坑道内は、
涼しいというレベルでなく、寒いのだ。
坑道内気温、なんと13度。内外温度差は20度を超える。
上着が必要なのだ。

坑道内はこの冷気に、地下水が滴り落ちて、ある雰囲気を醸し出していた。
そこへ、やはりある程度の演出がかかっている。
ロマンあふれる感じの音楽。テーマは恐らく「冒険」だ。
私は一瞬のうちに魅せられてしまった。

「ラピュタ」でも見て作ったのだろうか、坑道内には
鉱脈が光るような演出がなされている。



だがしかし、それでも…





このマネキンの薄気味悪さは、そこらへんの恐怖館を超える勢いを持っていた。




他にもたくさん写真をとり、大変勉強になったので
今後の創作に弾みがつくこと請け合いである。